釣りの番外編。
2019年10月17日
たまたまなのか、何かの虫の知らせなのか?
先日、昔々に買った腕時計を探して、日頃全く手の付けない場所をゴソゴソしていると
30年くらい前の釣りや旅行に行った時の懐かしい写真数十枚がひょんなところから。
笑い話の一つにでもと会社に持ってきて、福田・河合・石谷に「どやっ」と見せておりました。
笑いながら(笑われながら)見ていたものの、よくよく見ると釣りに行こうにも行けないメンバーの写真が。
徳島県の牟岐大島で磯代わりの途中か、港へ帰る途中か、甲板で操舵室をバックに3人で写っている一枚の写真。
かろうじてですが船頭さんの顔が操舵室の窓越しに写っておりました。
昭和から平成に変わった頃に着ていたDAIWAグレートバンフのライフジャケットが懐かしい。
今年の年明けに尼崎の釣具屋に行った時「牟岐大島の〇〇船頭さん、亡くなったらしいでぇ」と。
今ではそういう事をしてくれる船頭さんはいないと思いますが、「夜中の3時頃には着きます」と連絡しておけば
自宅の玄関を開けて、わざわざ人数分の布団まで敷いてくれていました。
アホの一つ覚えよろしく、毎週々、時化ていない限りは火曜日の夜10時に車に釣り道具を積んで師匠を迎えに行き、
夜中3時頃にこそーと牟岐町の船頭宅の玄関を開けて、三和土右側の和室で仮眠しておりました。
「サエキは~ん、アタリあるんけ~。」
「〇〇磯が空いとるけん、替わり~」と、
船からマイクで話す野太い声が懐かしいです。
3年ほど前に牟岐大島に行った時、大島への行き帰りの船中、操舵室に入り、頚椎ヘルニアの手術の事、
術後のリハビリの苦痛、復帰されてからもリハビリを続けている事を聞いたのが最後でした。
その節は船頭さんのみならず、奥さん、20年ほど前に他界されたお婆さんにも大変お世話になりました。
その写真に写っている一人が高校の同級生。
十数年前に発病し、手術の甲斐虚しく視力が殆ど無い状態に。
その同級生から一昨年に聞いたのは屋久島の池の鼻(ポイント名)、長崎県の男女群島で一緒に写っている奴の事。
鬼籍に入ったと・・・。
御年56歳。
今日、釣り仲間(と言っても先輩)に久々に連絡すると、30数年前に石鯛釣りを教えてくれた師匠でもあり、
和歌山県の潮岬・徳島県の牟岐大島を教えてくれた方でもあり、何十回も火曜日の夜10時に迎えに行っていた
方が先日お亡くなりになったと・・・。
教えてくれた方も亡くなられたのを後日に聞いたらしく「葬儀は身内だけで」と、奥様に聞いたとの事でした。
10年ほど前から患っていたらしく、体力の減退も有り、磯釣りからは遠ざかっていたとの事で、数年前に会った時には
「石鯛釣りは極めたし、道具も手放したわ~」と冗談半分で話したのが最後でした。
石鯛釣りでは名の通った方で、現役の頃には釣り雑誌に記事も執筆されておられましたが、ここ数年は
船釣りをしていると聞いておりました。
仕掛けの作り方・ポイントと潮の見極め方・船頭さんとの駆け引き・一級磯の取り方など、牟岐・潮岬へ向かう道中で、
また飲みに連れて行ってくれた居酒屋・スナック・小料理屋で尽きることなく面白可笑しく話してくれたり、
一級磯の一級ポイントに拘りが強く、共に竿を並べた磯の上ではその腕前を披露されっぱなしでした。
2年ほど前「道具が無いんやったら僕のが有るんで、久々に一緒に牟岐でも行きまひょや」と
師匠に話した時には病状も悪化してきた頃だったのでしょう。
「石鯛釣りはしんどいわ~」と、笑いながら話されたのは本音だったとは・・・。
他にも数名の方々と一緒に写真に収まっておりますが、重病になられたり、夜がけ朝駆けの磯釣りを卒業され、
船釣りに転向された方・磯は遠のき別の釣りに没頭されている方、釣り竿には縁遠くなった方など、寂しい限り。
30年前の十数枚の写真に写っている中で石鯛釣りを今だにしているのは、できるのは、僕だけとは・・・。
「グレ」や「石鯛」やと一声掛かれば、俺も・わしも・連れもと、車に乗り切れない程の
メンバーが揃ったのは本当に遠い昔となりました。
久々に牟岐のどこかの船頭さんを頼って、師匠と一緒に竿を並べたヤカタ・ジイ・オキソエ・
大番東・ゴマ磯に上がりたいですねぇ。