まれにみる大雪
2011年02月15日
こんにちわ。
ウェーブ西宮の宮安です。
先日の大雪はすごかったですね。
まれにみる大雪でした。
毎日色々の処へ車で向かっていますが、ちょうどあの時、あの時間は
宝塚の野上という処へ訪問していました。
お話をさせていただいている中で、しんしんと降る雪は、だんだんと
粒が大きくなり、牡丹雪のような大きな雪が降っていました。
約30分ほど車を停めて打ち合わせしていたのですが、
終わって家を出る時には車の上に5cmほどの雪が積っていました。
関西でこのくらい積ることはとっても珍しいですよね?
おかげさまで、つるつるのタイヤにスタッドレスなんて履いていません。
加えて、急斜面を下りていかないと行けない場所でしたので、
人が歩くよりも遅いスピードで帰って来ました(笑)
この大雪で沢山の人に影響を及ぼしているみたいですね。
僕も事故しなくてよかったです。
自然現象なんで中々事前の対策は難しいですが、
いざとなった時、対処できるようにしとかないといけませんね。
インフルエンザ・・・
2011年01月31日
こんにちわ。
久々の登場の宮安です。
今年の初物にかかりました。
正直かかりたくなかったのですが、インフルエンザです。。。
先週の週頭から何となく風邪気味の様な体調で、たま~にそういう時もあったり、
この寒暖の差が激しい季節には正直あまり体も強くないので、熱っぽかったり、体がだるかったり
する時はありました。
まぁ今回もそんなもんだろうと思い、いつも通りに出勤して、いつも通りに仕事をしていました。
特に今週末は2月1日から膝の手術のため入院することになっておりますので、尚更仕事をすべて
終わらそうと息巻いていたのですが・・・
膝の手術のというのは約1年前に趣味のバスケットが原因で膝の半月板を痛めてしまいまして、
そのままほっといてバスケを続けていたので、症状が悪化し普段歩いたり、階段を上り下りするのも
つらい状況になってしまいました。
そこで、思い切って手術をすることを決意しました。
という訳でなんとか1月は忙しい月になるだろうと予想していたのですが、まさか最後になって
インフルエンザとは・・・
幸いにも新型ではなくA型というのにかかりまして、約1週間、高熱と関節痛と頭痛にうなされていました。
しかし職人さんや社長、店長、同僚のみんなが助けてくれて、なんとかお客さんや現場に迷惑をかけることなく
すむ形となりました。本当にありがとうございました。
インフルエンザで1週間の休みをもらった後、膝の手術で1週間も休むとなると、合わせて2週間ほど休みを
もらう状態になっているので、また退院したら頑張りたいと思います。
それではまた明日から1週間ほど入院してきます。
16年の月日
2011年01月17日
こんにちわ。
ウェーブ西宮の宮安です。
今日この日にブログ当番になったのは何かの縁、阪神大震災について書こうと思います。
この時期になるとやっぱり思い出します。
当時僕は中学1年生の1月でした。
2つ下に弟、7つ下に妹のいる僕は、一人で部屋で寝ていました。
明け方の5時46分、とてつもない爆音と共に体が跳びはね、一瞬で地震と分かりました。
部屋の四方を本棚で囲まれていたため、とりあえず布団に丸まり、揺れが収まるのを待ちました。
その後すぐに隣で寝ていた妹を抱きかかえ、まだ寝ていた弟を起こし、リビングの奥にいている両親の所まで行きました。
リビングでは、反対側にあった、背丈よりも大きな食器棚が倒れ、リビングに食器の割れた破片が飛び散っていました。
なんとか靴下を履いて、家族と合流し、明るくなるのを待って、急いで尼崎の祖父母の家まで避難しました。
マンションのエレベーターはもちろん停まっていたので、15階から階段で下りると、見たこともないような亀裂が
アスファルトを引き裂いていたことを覚えています。
避難した尼崎は何とか水道、ガス、電気もすぐに復旧し、2カ月ほどそこで生活をしました。
そして震災から早16年経ちます。
僕の周りでは仲良しの職人さんが瓦礫の下敷きになり、命からがら脱出した話や、実際に身内や友人が亡くなった話も
聞きました。良くも悪くもこの震災から受けた影響はとても大きく、ずっと心の中に残っています。
復興工事はもうほとんど終わり、神戸の町にはすっかりその跡は見なくなりました。
しかし、復興住宅での孤独死など、その傷はまだまだ深く、まだまだぬぐえません。
建築業に携わったことで、いろんな地域の方々に震災の大きさや、家におきた被害を見せてもらっています。
ほんとうにすさまじく、大きな地震であったことを痛感します。
この仕事を通して、被災した身として何ができるという訳ではありませんが、この事を忘れず、また何かの役に
立てていければと思います。
最後に亡くなった6434人の方々のご冥福をお祈りします。